人気者になりたい?

しばらくブログを更新していなかった。最近思っていることを思い出した順に。

津田大介さんの『情報の呼吸法』が人気のようだ。グリーンズの『ソーシャルデザイン』も同時にシリーズとして発売になって、そちらも人気。ツイッターのタイムラインがこの2冊の本の感想で埋め尽くされる勢いだ。どちらも元気の出るいい本だと思う。読むならあわせて読むのがいいかと思う。

でも、ちょっと気を付けて読んだほうがいいと思う。水を差すような言い方だけど、『情報の呼吸法』を読んでも、だれも津田さんにはなれないのだから。ジョブズくんの本を読んで自分もジョブズくんみたいになれると思う人はいないと思うけど、津田さんにならなれるかも、と思ってしまう人もいるかもしれない、と心配してしまうのだ。でも、ぜったい無理。あなたはあなただから。ちっちゃい津田さんになってもしかたがないでしょー。

そのことについては、自分はたまたまこういう活動ができる状況にあった、と津田さんも言外に書いてくれている。それが彼の優しいところだろう。自分がこれ、と思ったことをやるべきとも。それが大事。そのことは、『ソーシャルデザイン』のほうに、より鮮明に描かれている。だから、両方読むとそのあたりがよくわかる。

で、ツイッターのタイムラインだけど、そういうこともあってか「人気者になりたい」という感じの人でいっぱい(私もそうありたいのだけど、残念ながら、人が寄り付かないキャラらしいので、あきらめている)。でも、人気者になる必要なんてこれっぽっちもないと思う。好きなことがあれば、ヘンに人気を取ろうとするより、それに没頭したほうがいい。100人のうち99人まで理解してくれなくても、1人が理解してくれればいい。その比率でいけば、日本の人口をざっと1億人としても、100万人もの理解者がいるのだから。

誰も反応してくれない、と思ってすぐにあきらめずに、1年ぐらい続けてみるといいと思う(って感じのことは上の本のどちらかに書いてあったような気がする)。そのうち、理解してくれる人が出てくるはず。表面的、感覚的に面白い、と思ってくれるものの、すぐに離れていく人よりも、そうやって得た理解者のほうが大事だと思う。

ま、そんなわけで、私も、左手お絵描きだの百人一首本歌取り俳句だの、たぶんほかの人からするとくだらないと思われることを(しかも技量もたいしたことがないのに)続けているわけ。私のやっていることにあまり反応する人はいないけど、だからこそ、それはホンモノになる可能性を秘めているからだ、と思っている(負け惜しみともいうけど)。でも、私はほめられて伸びるタイプなので、やっぱりほめてもらえるとうれしいし、やる気も出る。だからどんどんほめてくださいね~。……私が勘違いしない程度に。

ところで、ちょっと興味を抱いたので、去年から競馬を始めた。ツイッターにも書いたけど、ギャンブルというのは胴元が確実に儲かるシステムなので、たいていの場合、こちらは損をすることになる。ただ、競馬はほかのギャンブルと違って、かなりリスクヘッジができるので、その気になれば大損しないような賭け方もできる。馬や調教師や騎手のことが分かってくれば、もっと精度が上がって、儲けることができるようになるかもしれない。多くの情報をインプットして、自分なりに分析して……というわけなんだけど、これってジャーナリストの仕事にも似ているよね、と思った。ここで『情報の呼吸法』にまたつながるわけだけど、だれもが競馬のプロになる必要がないのと同じように、だれもがジャーナリストになるわけではないので、一生懸命情報を発信したり、入手したりする必要も必ずしもない、と私は思う。そういうことが重要になる人ももちろん多いと思うけれど、自分のスキルを高めることも大事だと思う。

まあ、私がどちらかというと、自分の手で何かを作るのが好きなタイプだからそちらに重きを置くのかもしれないけど。といっても、別に、そうでない人のことを人のフンドシで……みたいなことを言うつもりはない。オリジナリティって、これまでになかった新しいものを無から作り出すことよりも、どれだけ広く、深く影響力を与えられるかによって評価される面もあるから(ジョブズくんがいい例だと思う)。そして、そういう評価の考え方がよくないとも思わないし。

と、前回のブログ以降、そんなことをうだうだと考えていたのでした。ではまた。

経済成長という錦の御旗

経済成長しなければ不幸になる、というのは一理あると思う。不景気で自殺者が増えるのもそれゆえだ、なんとかしなくてはならない、と言われれば首肯せざるを得ない(かといって、経済成長すれば幸せになるかというのは分からない。が、それはまた別の話なのでおいておこう)。

思ったのは、経済成長を量的拡大だけの話と捉えていいのか、ということ。これまでの路線を拡大していくだけでいいんだろうか。私は、それはすでに破綻していると思う。人口の構成も変わっているし、内外の環境も変わっている。量的には縮小しても、質的に充実させることを考えてみてもいいのではないか、と思う。

じゃあ、「質的拡大」って何?と聞かれると即答できないのだけれど。

日本の伝統的な文化や、新しい文化(アニメーションなど)がキーワードになる、というのは月並みな答えだし、ITに期待できるかというと、どうも微妙な感じがする(業界の片隅に身を置く者としては、はばかられるのだけれど)。

何が軸になるのかは分からないが、これまでとは発想を変える必要があると思う。いくら数字を出されても、これまでと同じ発想での議論にはあまり乗れない、と思ったりもする。私を含め、私より年齢が上の世代は、これまでの価値観で考え方ががんじからめになっているから、答を出すのは難しいかもしれない(下の世代でも想像力に乏しい人もたくさんいるだろうが)。

そんなことを、ここ数日つらつら考えている。

新年に思うこと

思いつくままにいろいろ書いてみよう。

去年までは、私の仕事は「種まき」のようなものだと思っていた。何年か、何十年後かに花が開き、実がなればいい。期待はしていてないが、そのときに種をまいた私のことを思い出してくれれば、なおいい、と思っていた。でも、その比喩はちょっと違うかも、とも思った。種は私が持っているものではなくて、学生や読者が持っているものだから。いつか役に立った、と思ってくれればそれでいい、というのは変わらないけど。

世の中には、今を大切にしたい人と、未来を大切にしたい人がいる(私はどちらかというと後者の思いが強いかも)。明確に二分することはできないけれど、時に、それらの人たちが敵対することがある。とても残念なことだ。前者の後者に対する「現実を見ていない」という批判や、後者の前者に対する「自分さえよければいいのか」という批判は、自制すべきだと思う。全否定からは何も生まれないような気がする。

自分の魅力を高めて、他人から疎まれないように努力することはとても大切だと思う。でも、欠点のない人なんていないんだし、そういう欠点をも受け入れられる人になることはもっと大切なことだと思う。

芸術に関して。古典となりうる作品は万に1つもない(でも、ゼロではない)。で、作品の価値はそれが生まれたときに決まるものではなく、数多くの人の鑑賞に堪え、長い時間をかけて作られるものだと思う。作られたときは単なる人工物だったものが、何百年と経て付喪神が宿るかのように。

きっといろいろと考えるべきこと、なすべきことがあるだろうけど、とりあえずこれぐらいで。また、思いついたら書こうと思う。